住所 〒409-2305 山梨県南巨摩郡南部町内船5359
TEL 0556-64-2200

※駐車場がございます。

寶生教 御本宮ごほんぐう(寶生山八津御嶽神社)

鎌倉時代の古より、現在の山梨県南部町八津の里に鎮座する、八津御嶽神社。この八津御嶽神社こそが、全国の寶生教各教会、各布教所、八津御嶽神社の総本宮、即ち、御本宮です。御神殿に向かうと、春から初夏にかけては鳥たちの囀りと共に、木々の緑の間を渡る爽やかな風が、秋から冬にかけては、身を引き締める凛とした空気が、私達の身体を包みます。

時は遡り、文治元年(1185年)、かの源頼朝公が全国に守護・地頭を設置した際、佐渡の国八津郷「八津多聞左ェ門藤原時種やつたもんざえもんふじわらのときたね」がこの地に地頭職として着任し、この地に「地頭屋敷」が建てられました。

八津氏は地頭屋敷の戌亥(北西)に「御嶽神社」を創建し、所領安堵と天下泰平祈願の社としました。

丑寅(北東)の方向には、鬼門除けの「天神」。辰巳(東南)には、恵方除けの「浅間神社」。午(南)にあたる場所には「豊受大神」。酉(西)には、武運祈願のために「八幡神社」が祀られました。これらを総称して「内船五社」と云います。

御嶽神社では、代々の地頭職が祭主として奉仕してきました。世が変わり、地頭職が廃止されてからは、その後裔である山本家を中心に祭儀が行われてきました。

八津氏が御嶽神社の祭神としたのは、「大己貴之命おおあなむちのみこと」、「少名彦之命すくなひこのみこと」でした。

その後、寶生教々祖、山本亀一様は、「元無極げんむきょく體天たいあめの御中主国みなかぬしくに常立之とこだちの尊産土之みことうぶどの大御神おおみかみ」を主斎神とし、加えて「大国主之命おおくにぬしのみこと」、「事代主之命ことしろぬしのみこと」、「天津児屋根之命あまつこやねのみこと」、「天津大山祇之命あまつおおやまづみのみこと」を招聘し、寶生山八津御嶽大神ほうせいざんやつみたけおおかみと尊称されました。

(文中の神名は、御教祖の言い伝え通りとしました。)